1976年生まれ。東京都出身。高校時代、友人の勧めでプロレスに興味を持ち、その後、グレイシー柔術と出会う。
大学入学後、ハワイ、ロス、サンパウロへブラジリアン柔術修行の旅に出る。2001年ファイティングアーツ高島平の代表兼柔術インストラクターに。
「ブラジリアン柔術普及」のもと、現在も年30以上の大会を開催し、土日は全国各地を飛び回り、平日は道場での指導を行う日々を過ごす。
僕のお祖母ちゃんがプロレス好きだったみたいで、よく全日本プロレスとか新日本プロレスとかを一緒に観てたというふうに聞かされているんですけれど、あんまり記憶にはないんです。
たまたま高校時代にプロレスが好きな友達がいて、それに影響されたというのが大きいですね。
第1回のアルティメット大会、金網の中で何でも有りというようなルールでやってた中で、ホイス・グレイシーという選手が優勝したんですけど、体格も小さくて。最初見た時はこんなの勝てるのかな?こんな小さい奴が大きい奴相手に、みたいな。
そうしたら、あれよあれよという間に勝って・・・
凄い感銘を受けましたね。
生活は酷かったですね。お金もそんなにあるわけでもないし、リオに行った時は本当にチンプンカンプンで英語も通じない状態だったんです。ただ練習に関しては、体と体で触れ合ってコミュニケーションしている状態なので、言葉が分からない状態でもぜんぜん通じ合っていました。
※本場ブラジルの柔術を体に叩き込んだ浜島さんは日本に帰国後、柔術指導者としての活動も開始します。
自分がやっている競技を創った人に会いたいというのがあり、それでブラジルに行って・・・
たまたま「GONG grapple」の記事で
エリオ・グレイシーに会いに行くという取材があるというので、「是非一緒に連れてってくれ」と記者の方に頼み込みました。
そしたらこういうふうに(エリオ・グレイシーが)「急に首を絞めろ」と。私はまだまだ若いんだっていうのをアピールしたかったのか分からないですけど(笑)。
生徒が大会で優勝したとか、そういうのを観ると本当に感無量ですね。大会に出なくても練習に来て汗流して「今日楽しかったです」ってひとこと言われただけでも「やってて良かったなぁっ」て思いますね。
この道場を通して色んな人と出会えたことがやっぱり何よりも大切な宝だなぁって。
ブラジリアン柔術の普及、ブラジリアン柔術の競技人口が増えて
このままずっとブラジリアン柔術に携わっていければと思います。
※浜島さんは月曜日から金曜日まで「ブラジリアン柔術連盟」に勤務しています。
好きなことを是非続けてください。
続けることは簡単そうで実は一番難しいことです。
ただ、続けていけば必ずや自分が願っている未来が掴めると思います。頑張ってください。